『キングダム』の合従軍編では、秦国が趙、楚、魏、燕、韓の五国連合軍と激突しました。この壮絶な戦いの中で、「秦国内に裏切り者がいるのでは?」という疑惑が浮上しました。
特に王翦や昌平君といった有力人物が疑われた背景には、それぞれの独特な行動や野心が関係しています。しかし、彼らは本当に秦を裏切ったのでしょうか?
本記事では、合従軍編での王翦と昌平君の動きや、実際に秦国内に裏切り者がいたのかどうかを詳しく考察していきます。
この記事を読むとわかること
- キングダムの合従軍編の概要と戦いの背景
- 王翦や昌平君が「裏切り者」と疑われた理由
- 合従軍戦で実際に裏切り者がいたのかの真相
キングダムの合従軍編とは?
『キングダム』における合従軍編は、物語の中でも屈指の大戦が描かれる激動のエピソードです。
この戦いでは、趙国の李牧が中心となり、楚・魏・燕・韓の5カ国を束ねて秦国を滅ぼそうとする壮大な軍事同盟が結成されました。
圧倒的な兵力差により、秦は国の存亡をかけた防衛戦を余儀なくされることになります。
合従軍の目的と結成の背景
合従軍の目的は、かつて覇権国家であった秦国の勢力拡大を食い止めることにありました。
戦国七雄の中でも特に秦国は戦力を増し続け、他国にとっては最大の脅威となっていました。
そこで、趙国の三大天・李牧が主導し、他の五カ国を説得して強大な連合軍を形成します。
この連携は単なる同盟ではなく、「滅ぼすべき敵は秦国」という共通の目的のもとに結ばれたものでした。
斉国の離脱と秦国の苦境
当初、合従軍には斉国も加わる予定でした。
しかし、秦国側の外交官である蔡沢が斉国の国王・王建王と交渉し、合従軍が支払う報酬の倍の額を提示したことで、斉国は軍を撤退させる決断を下します。
これにより、秦国は五カ国の大軍を相手にしながらも、わずかな望みをつなぐことができました。
しかし、それでもなお、秦国にとっては圧倒的不利な戦いが続くことになります。
秦国の裏切り者疑惑とは?
合従軍との戦いが始まる中で、秦国の内部から裏切り者がいるのではないかという疑惑が浮上しました。
この疑惑が生まれた背景には、王翦や昌平君といった要人たちの不審な行動が影響しています。
彼らは本当に秦を裏切ったのか、それとも策略の一環だったのか? その真相に迫ります。
なぜ裏切り者がいると噂されたのか
合従軍編で秦国が苦戦する中、一部の将軍や軍師の行動が疑念を招くことになりました。
特に王翦は、戦場から突然撤退するなどの不可解な動きを見せ、敵軍の突破を許した場面もありました。
また、秦軍の総司令官である昌平君も、嬴政をあえて危険な戦場へ送るという策を取ったことで、「裏切りではないか」と疑われました。
さらに、呂不韋派の影響が秦国内部に残っていたことも、内部からの情報漏洩や裏切りの可能性を指摘する声を強めました。
合従軍の策略と内部崩壊の可能性
合従軍側も、秦国を内部から揺さぶる策を講じていました。
李牧を筆頭に、秦国内の不安を煽り、疑心暗鬼にさせる工作が行われていたのです。
例えば、王翦が戦線を離れた際には、秦国の一部将兵の間で「王翦が裏切ったのでは?」という疑念が広まり、士気が下がる要因になりました。
また、昌平君の采配についても、「呂不韋の指示を受けているのではないか?」という憶測が飛び交い、秦国が自壊する可能性を危惧する声もありました。
しかし、こうした疑念はあくまで状況による憶測であり、裏切りが事実だったかどうかは、後の戦いの展開を見なければ判断できません。
王翦は裏切り者なのか?
合従軍との戦いの中で、特に王翦(おうせん)の行動が「裏切りではないか?」と疑われる場面がありました。
王翦は知略に長けた武将でありながら、国王になる野心を持つ人物としても描かれています。
果たして彼は本当に秦国を裏切ったのでしょうか? それとも、全ては計算された戦略だったのでしょうか?
王翦の戦略と謎の撤退
王翦は合従軍戦において、函谷関の防衛線の一部を任されました。
対する合従軍は、燕国の総大将オルドを王翦軍の相手として配置します。
王翦はすぐさま地形を活かした天然の砦を築き、敵の進軍を阻止しました。
しかし、オルド軍が山岳戦に長けた部隊を活用し、王翦軍の要所を攻めると、王翦軍は突如撤退します。
この撤退により、秦国内では「王翦が合従軍と通じているのでは?」という疑惑が生じました。
敵か味方か?王翦の真意を探る
王翦の撤退後、オルド軍は函谷関の裏手へ進軍し、ついに秦の防衛線を突破するかに見えました。
ところが、この瞬間、突如として王翦軍がオルド軍の背後から奇襲を仕掛けたのです。
この奇襲によって、オルド軍は壊滅的な打撃を受け、撤退を余儀なくされました。
つまり、王翦の撤退は裏切りではなく、あくまで敵を油断させる策略だったのです。
最終的に王翦が果たした役割
その後、王翦はさらに戦況を見極め、函谷関裏の楚軍を殲滅するという大仕事を成し遂げます。
この活躍がなければ、函谷関は合従軍に突破され、秦国は滅亡の危機に瀕していたでしょう。
結果として、王翦は裏切り者ではなく、秦国を救った英雄の一人となったのです。
しかし、その野心が完全に消えたわけではなく、後の展開では再び王翦の動向が注目されることになります。
昌平君は裏切り者なのか?
合従軍との戦いでは、秦軍の総司令官である昌平君(しょうへいくん)の行動にも疑念が向けられました。
彼はもともと呂不韋派の有力者であり、政治的には嬴政と対立する立場にありました。
そんな彼が、合従軍戦での重要な局面でとった行動が「裏切りではないか?」と議論を呼んだのです。
呂不韋派としての立場と行動
昌平君はもともと呂不韋を支持する立場にあり、秦軍の総司令官という役職にありながらも嬴政に完全には忠誠を誓っていないと見られていました。
呂不韋は、秦の実権を握るために様々な策略を巡らせており、合従軍戦においてもその影響力を行使していた可能性があります。
そのため、昌平君の軍事行動が呂不韋の意向を反映したものであるとすれば、秦を内側から崩す策略であった可能性も考えられました。
嬴政を危険な戦場へ送った理由
昌平君が裏切り者ではないかと疑われた最も大きな要因は、嬴政を咸陽手前の城「蕞(さい)」に送ったことです。
この時、李牧は南道を進軍し、秦の城を次々と陥落させながら王都・咸陽に迫っていました。
秦国は函谷関の防衛に多くの兵力を割いていたため、蕞にはほとんど兵士がいないという絶望的な状況でした。
そんな中、昌平君は嬴政に対して「自ら蕞に赴き、市民を鼓舞して戦わせる」という策を提案します。
この作戦が成功すれば、李牧軍の進軍を止めることができる一方で、失敗すれば嬴政が命を落とすリスクもありました。
この判断は「秦国を守るための最善策」とも取れますが、呂不韋の命令で嬴政を戦場に送り、暗殺を狙ったのではないか?という疑惑も浮上しました。
最終的に昌平君はどう動いたのか
嬴政は蕞に赴き、自ら市民を鼓舞して戦い、結果的に李牧軍の進軍を阻止することに成功しました。
しかし、この戦いを経て、昌平君の行動に対する見方が変わることになります。
呂不韋は昌平君に対して「なぜ嬴政を生かしたのか?」と問い詰めますが、昌平君は「私は秦軍の総司令官であり、今それ以外のことは取るに足らぬ小事」と冷静に答えました。
さらに、昌平君は側近の介億(かいおく)を蕞に派遣し、李牧軍から城を守るための大きな役割を果たしました。
この一連の行動を見ると、昌平君は呂不韋ではなく、秦国そのものを守る選択をしたと考えられます。
昌平君は裏切り者だったのか?
結論として、合従軍戦において昌平君が秦を裏切ることはありませんでした。
むしろ、彼の戦略的判断によって嬴政は生き延び、秦国は滅亡の危機を回避することができました。
しかし、昌平君はこの後の物語で大きな転換点を迎え、後に本当の「裏切り者」として動くことになります。
彼がどのように変化し、最終的にどのような選択をするのか、今後の展開から目が離せません。
実際に秦国に裏切り者はいたのか?
合従軍戦の最中、秦国内では王翦や昌平君の行動により「内部に裏切り者がいるのでは?」という疑惑が広まりました。
しかし、戦いが進むにつれて彼らの行動は秦を守るための策略だったことが明らかになります。
では、実際に合従軍戦で秦国を裏切った人物はいたのか? それとも、疑惑だけで終わったのか? 詳しく見ていきましょう。
合従軍戦での真実
結論から言うと、合従軍戦において秦国内に明確な裏切り者はいませんでした。
王翦の撤退も、昌平君の策も、結果的には秦国を守るための戦略の一環でした。
もし本当に秦を裏切る者がいたならば、秦は合従軍の猛攻を耐え抜くことができなかったでしょう。
そのため、戦争中に広まった裏切り疑惑は、あくまで秦国を内部から揺さぶるための情報戦であった可能性が高いと考えられます。
今後の展開と裏切りの可能性
合従軍戦では裏切りはありませんでしたが、後の秦国には大きな裏切りが待ち受けています。
特に昌平君は、物語の進行とともに秦国に対する態度を変えていくことになります。
彼は元々楚国出身であり、秦に仕えながらも完全に忠誠を誓っているわけではありません。
また、呂不韋派の残党や、政権をめぐる内部対立が今後の秦国の動向に大きく影響を与える可能性があります。
このように、合従軍戦では大きな裏切りは起こらなかったものの、秦国内部の権力争いは続いており、将来的には裏切り者が現れる可能性も十分に考えられます。
キングダム合従軍編の裏切り疑惑まとめ
合従軍との戦いは秦国にとって過去最大の危機でしたが、その中で「裏切り者がいるのでは?」という疑惑が浮上しました。
特に王翦や昌平君の行動は、戦況を大きく左右するものであり、一部では「彼らが秦を裏切るのではないか?」という憶測も飛び交いました。
しかし、戦いの結末を見ると、彼らの行動は全て秦国を守るための策略だったことが分かります。
裏切り者はいたのか?結論
合従軍編において、秦国内に明確な裏切り者はいませんでした。
王翦の謎の撤退も、昌平君の戦略も、最終的には秦国を救う結果をもたらしました。
むしろ、合従軍側が秦国内に疑心暗鬼を生じさせるために情報戦を仕掛けていた可能性が高いと考えられます。
そのため、裏切り疑惑はあくまで噂であり、実際には秦国の団結力が勝利を引き寄せたと言えるでしょう。
王翦と昌平君の立場を再考する
王翦は野心家であり、「自ら国を持つ」という願望を持っていますが、この戦いでは忠実に秦国の防衛を果たしました。
しかし、その野望が完全に消えたわけではなく、今後の展開次第では秦にとっての脅威になる可能性もあります。
一方で、昌平君は合従軍戦では秦を守る選択をしましたが、彼の楚国出身という背景や、呂不韋派との関係を考えると、後に秦を裏切る可能性も残されています。
特に史実では、昌平君は後に楚へ寝返ることが知られており、キングダムの物語でも大きな転換点となることが予想されます。
キングダムの今後の展開にも注目!
合従軍戦は秦にとって最大の試練のひとつでしたが、それを乗り越えたことでさらに強国への道を進むことになります。
しかし、国内では政権争いや権力闘争が続いており、今後、本当の「裏切り」が発生する可能性は十分にあります。
特に昌平君や王翦の動向には要注目です。
『キングダム』の今後の展開を見逃さず、彼らの選択がどのように物語を動かしていくのか、楽しみにしましょう!
この記事のまとめ
- 合従軍戦では「秦国内に裏切り者がいる」との疑惑が浮上
- 王翦は戦場で不可解な撤退を見せたが、結果的に秦を救う
- 昌平君は嬴政を危険な戦場へ送るも、秦を守る行動を取る
- 合従軍戦では明確な裏切り者は存在せず、情報戦の一環だった
- 今後の展開では昌平君の「本当の裏切り」が描かれる可能性あり
コメント