踊る大捜査線ですみれの最後のセリフに違和感?

ドラマ

2010年、7年の沈黙を破り公開された『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』。

多くのファンが待ち望んだこの続編は、しかし、日本映画史に残る悪夢として記憶されることになります。

その原因は、ラストシーンにおける恩田すみれの、たった一言のセリフでした。

この記事は、あのセリフ——「死ねばよかったのに」——がいかにして13年間ファンが愛した『踊る大捜査線』という物語を根底から破壊したのかを、冷静に分析・考察するものです。

この分析には、作品の核心に触れる痛みを伴うことを、あらかじめご了承ください。

踊る大捜査線ですみれの最後のセリフに違和感?:全ての希望が潰えた瞬間

まず、問題のシーンを正確に振り返らなければなりません。

新湾岸署で起こった一連の事件が解決し、多くの仲間がそれぞれの道へと去っていく。

夕暮れの廊下で、二人きりになった青島俊作と恩田すみれ。

青島は、これまでの全てを慈しむように、素直な気持ちを口にします。

青島:「すみれさん、俺、やっぱり湾岸署が好きだ。あんたがいてくれて、よかった。」

長年のファンであれば誰もが、二人の絆が再確認される感動的な瞬間を期待したはずです。

しかし、すみれは感情のうかがえない冷たい表情で、一瞬の間を置き、静かに、しかしはっきりとこう告げたのです。

すみれ:「……死ねばよかったのに。」

劇場を支配したのは、沈黙と混乱、そして戦慄でした。

それは、カタルシスを期待していた観客の心を、絶対零度の刃で突き刺すような、あまりにも残酷な一言でした。

踊る大捜査線ですみれの最後のセリフに違和感?:なぜこのセリフは「破壊的」だったのか?3つの要因

このセリフは、単に「酷い」とか「がっかりした」という次元の問題ではありません。

これは、シリーズが積み上げてきた全ての価値を否定し、物語そのものを死に至らしめる「毒」でした。

その破壊的な性質は、3つの要因に分解できます。

1. キャラクターの完全な崩壊と人格の否定

恩田すみれとは、どのような人物だったでしょうか。

男社会の警察組織で傷つきながらも、芯の強さと正義感を失わず、不器用な優しさを持つ女性刑事でした。

特に青島に対しては、危険を顧みず彼の元へ駆けつけ(TVシリーズ)、自らが盾となり(歳末特別警戒スペシャル)、そして彼の無事を誰よりも祈る(THE MOVIE 2)存在でした。

『THE MOVIE 2』で凶弾に倒れたすみれを、青島は必死に救い出します。

「大丈夫だ、俺がついている!」と叫ぶ青島の姿に、二人の絆の絶対性を確信したはずです。

その、命を救われた経験を持つすみれが、命の恩人とも言える青島に対して「死ねばよかったのに」と告げる。

これはもはや「照れ隠し」や「すれ違い」などという解釈が成立する領域ではありません。

これは、恩田すみれというキャラクターの13年間にわたる人格形成を完全に否定し、彼女を「命の恩人の死を願う、理解不能なサイコパス」へと変貌させる行為です。

ファンが愛した恩田すみれは、この瞬間、脚本家によって殺されたのです。

2. 物語のテーマ性の完全否定

『踊る大捜査線』が描き続けたテーマの中心には、常に「仲間との絆」がありました。

官僚と所轄、上司と部下、そして刑事と刑事。

立場の違いを乗り越え、互いを信じ、助け合う姿こそが、この物語の核となるヒューマニズムでした。

青島とすみれの関係は、そのテーマを最も象徴するものでした。

彼らは単なる同僚ではなく、互いの正義を支え合う魂のパートナーだったはずです。

しかし、「死ねばよかったのに」という一言は、その全てのテーマを嘲笑い、否定します。

仲間との絆、信頼、命の尊さ——この物語が大切にしてきた価値観の全てが、虚しい戯言だったと断じられたに等しいのです。

このセリフによって、過去の全ての感動的なエピソードは意味を失い、色褪せた偽善の記録へと成り下がってしまいました。

3. 観客への倫理観を欠いた裏切り

7年間。ファンは続編を待ち続け、キャラクターたちの人生に思いを馳せてきました。

その純粋な愛情と期待に対し、作り手側が返したのは、悪意に満ちたとしか思えない、精神的な暴力でした。

これは、物語上の「裏切り」に留まりません。

ファンが作品に注いできた時間、お金、そして愛情そのものを踏みにじる、倫理観を著しく欠いた行為です。

なぜ、このようなセリフが採用されたのか。

その意図を測りかねますが、結果として、観客に深い精神的ダメージを与え、二度とこのシリーズを信じられないという絶望感を植え付けたことだけは間違いありません

踊る大捜査線ですみれの最後のセリフに違和感?:まとめ

もし、このセリフが「人間の隠された悪意」を描くための深遠なテーマに基づいていたとしても、その表現方法は致命的に間違っています。

なぜなら、『踊る大捜査線』という、ヒューマニズムと希望を土台にファンとの信頼関係を築いてきた作品において、その全てを破壊するこのセリフを用いることは、許されるべきではないからです。

たった一言が、長年かけて築き上げた世界を崩壊させる。

キャラクターを殺し、物語を殺し、そしてファンの心を殺す。

『踊る大捜査線 THE MOVIE 3』のラストシーンは、創作物が決して越えてはならない一線とは何かを、最も痛々しい形で後世に伝え続ける、巨大な墓標として存在しているのです。

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