ドラマ『アンナチュラル』第9話で注目を集めたキャラクター・宍戸。彼の怪しすぎる行動と謎に包まれた言動は、多くの視聴者に強烈な印象を残しました。
特に、「ABC殺人」と呼ばれる連続殺人事件との関係や、高瀬との関わり、中堂の恋人が持っていた「ピンクのカバの絵」への接触は、単なる記者の枠を超えた存在感を放っています。
この記事では、アンナチュラルの中で宍戸が果たした役割や、その裏に隠された真意、さらには「犯人ではないのか?」という疑惑について徹底的に掘り下げていきます。
この記事を読むとわかること
- ドラマ「アンナチュラル」9話における宍戸の怪しすぎる行動の真相
- 連続殺人犯・高瀬との関係性や“共犯”を思わせる描写の意味
- ピンクのカバの絵やABC殺人構想が示す事件の深層構造
宍戸は犯人なのか?アンナチュラル9話での真相
ドラマ『アンナチュラル』第9話「敵の姿」は、物語全体を大きく揺るがす真相に近づく重要な回でした。
その中心にいたのが、週刊誌記者の宍戸です。
彼の一挙手一投足が物語のカギを握る中、視聴者が最も気になったのは「宍戸は犯人なのか?」という問いでした。
第9話で宍戸は、六郎に封筒を託し、自らが独自に集めた事件資料や絵を渡します。
その中には、連続殺人事件を示唆するような英語の頭文字で並べられた死因のヒントが含まれており、「ABC殺人」構想が浮かび上がります。
これはまさに連続性を証明する決定打とも言えるアイデアであり、宍戸がただの記者ではないことを印象づけます。
さらに、宍戸はUDIの調査を揶揄するかのように「ボツリヌス菌はもうやった」と嘲笑。
これはまるで自らが犯人であるかのような発言にも聞こえました。
しかし実際には、彼には死亡推定時刻におけるアリバイが存在し、直接的な犯行の証拠は掴まれていません。
その一方で、遺体の発見現場や被害者の絵などの物証が次第に「高瀬」の関与を強く示唆し始めます。
にもかかわらず、宍戸は一貫して「真犯人は別にいる」という立場を崩しませんでした。
ここに宍戸の“探偵”としての側面と、ミスリードを誘うトリックスター性が混在しているのです。
最終的に宍戸は犯人と断定されることはなく、高瀬の正体が暴かれることで物語は進展します。
とはいえ、宍戸の役割が物語の流れに与えた影響は非常に大きく、その存在は“疑惑の象徴”として深く刻まれることになります。
この第9話は、「誰が犯人か?」というミステリーだけでなく、「誰がどのように真相へ導いたか?」という視点からも見応えのある回でした。
宍戸に浮上したアリバイの崩壊とその意味
第9話の中盤、事件の解明が進む中で宍戸のアリバイが崩れる瞬間が訪れます。
それまで宍戸は、自身の潔白を示すかのように堂々とした態度を貫いていました。
しかし、解剖の再調査によって死因がホルマリン中毒であることが判明し、死亡推定時刻が火災よりも前だったと覆されることで状況は一変します。
宍戸はこれまで「火災時には現場にいなかった」として自らの無関係を主張していました。
ところが遺体がすでに空き家に遺棄されていたことが証明されると、そのアリバイは成立しなくなります。
つまり宍戸は遺体の所在を事前に知っていた可能性が濃厚となり、視聴者の疑念は一気に高まりました。
加えて、宍戸が住んでいるのは遺体発見現場近くのアパートであり、事件に偶然遭遇したとは考えにくい立地です。
さらにそのアパートにはカメラが設置されており、宍戸が遺体の発見を「待ち構えていた」ような行動をとっていたことも判明。
これらの状況証拠は、彼が事件の内情を深く知っていたことを裏付けています。
とはいえ、直接的な殺害の証拠がない以上、宍戸を真犯人と断定するには至りません。
しかしこのアリバイの崩壊は、宍戸が“事件に関与する者”であるという前提を視聴者に強く印象づけました。
宍戸は一体、真相を暴こうとしていたのか、それとも高瀬と共犯関係にあったのか——。
この疑問は、次の展開でさらに深まっていきます。
疑惑の連鎖が始まる中、宍戸の持っていた“ピンクのカバの絵”が決定的な意味を持ち始めるのです。
ピンクのカバの絵が示す“犯人の証拠”とは
物語の終盤、宍戸が六郎に託した封筒の中から見つかった“ピンクのカバの絵”は、連続殺人事件の真犯人を特定する決定的な証拠となります。
この絵は、中堂の恋人・糀谷夕希子が事件に巻き込まれる直前まで手にしていたもので、事件当時には発見されていませんでした。
それが8年の時を経て突然宍戸の手元にある、という事実がすべてを変えたのです。
絵を見た瞬間、中堂は驚愕し、かつての恋人が抱えていたものだと即座に気づきます。
この“被害者しか持っていなかった物品”が、宍戸またはその関係者の手にあるということは、事件の核心に深く関わっていた証左になります。
これは法医学的証拠ではないものの、物語における感情と記憶が結びついた証拠として強烈な説得力を持っています。
宍戸は絵について「もらった」と言い、その出所を「高瀬」だと明かします。
この発言は、事件の糸をさらに複雑に絡ませました。
なぜ高瀬はそんな重要な証拠を宍戸に渡したのか?
また、宍戸はその重大さに気づいていたのか、それともそれすらも記事にするための材料としか見ていなかったのか。
このピンクのカバの絵は、単なる小道具ではありません。
中堂の過去と事件の真相、宍戸の立ち位置を繋ぐ象徴的なアイテムとして、9話全体のトーンを変えるほどの重みを持っていたのです。
視聴者はここで、宍戸を犯人と見るか、それとも真相に近づこうとする狂気の記者と見るか、大きな分かれ道に立たされることになります。
宍戸の行動が怪しすぎる理由
宍戸というキャラクターの存在感は、ただの記者という肩書きには収まりきらないものがありました。
第9話では彼の動きが特に注目され、視聴者の間で「この男、何者なんだ?」という疑問が噴き出しました。
その理由は明確で、彼の行動のすべてが「知りすぎている」「仕組まれている」ように見えたからです。
UDIをかく乱する情報操作と編集部への封筒
宍戸は、自らの情報網を使って事件の核心に近づき、週刊ジャーナルの編集長を通じて六郎に資料を託します。
この封筒の中身には事件の死因をアルファベット順に示した資料や、数枚のイラストなど、極めて高度な知識と情報が含まれていました。
しかも宍戸は、それらをあたかも“独自の分析”としてまとめ上げており、まるで操作を主導しているかのような立ち回りを見せます。
特に不可解なのは、宍戸が六郎に封筒を渡す手段です。
宍戸本人が直接手渡すのではなく、編集長に託して渡させることで、自身の関与を巧妙に一歩引いた位置に置いている点です。
この一歩引いた距離感こそが、宍戸の「全体をコントロールしようとする意図」を象徴しているようにも感じられます。
「ABC殺人」構想と死因アルファベット理論の関与
宍戸が提示したアルファベットによる死因の並びは、視聴者に衝撃を与えました。
この構想は、まるでアガサ・クリスティの小説『ABC殺人事件』を模したかのようなアイデアであり、ドラマに新たなミステリーの深みを加えるものでした。
宍戸がこの「死因をアルファベット順に並べる」という構造を知っていたことは、明らかに事件の裏側を知る者でなければ不可能です。
しかも宍戸は、「ボツリヌス菌はもうやった」「次はFだ」といった発言でUDIの調査を導くような動きを見せました。
これは、死因を知っていたどころか、むしろ宍戸自身が計画に関与している、あるいは共犯であることを示唆しているようにも取れます。
あまりに知りすぎている男、それが宍戸の本質なのです。
高瀬の不動産紹介と宍戸の介在可能性
ドラマの中盤から終盤にかけて、視聴者の間で囁かれたのが宍戸と高瀬の関係性です。
連続殺人事件の背後にいた高瀬は、不動産業を営む人物として、被害者となる女性たちと自然な形で接点を持っていました。
しかし、その接点が宍戸の紹介によって生まれていた可能性が浮かび上がってくると、事態は大きく変わります。
作中では、あるバーのマスターが「被害者の女性が宍戸のアパートに連れ込まれた」と証言し、逆に宍戸は「マスターに言い寄られて困っていた」と主張します。
両者の証言は食い違い、まるで真実を覆い隠すかのような構図が描かれていました。
このやり取りは、単なる言い逃れではなく、宍戸が何かを隠していることを示す象徴的なシーンです。
もし宍戸が「部屋を紹介してくれる不動産屋」として高瀬を被害者に紹介していたとすれば、彼は事件の“入口”を作っていた協力者に他なりません。
これは共犯とまでは言わずとも、事件を成立させるための環境づくりに加担していた可能性があるということです。
しかも、高瀬の犯行を宍戸が完全に知らなかったとは思えないような描写もあります。
9話終盤で、高瀬の家に宍戸が入り込み、「終わった?」と問いながら記念写真を撮るシーンがあります。
この自然なやり取りからは、二人が日常的な関係、あるいは共犯に近い関係であった可能性がにじみ出ています。
その裏で、宍戸は記者として事件を“追っている”ように見せかけながら、実は高瀬の動きを側面支援していたのではないかという疑念が残ります。
この二人の関係が真に暴かれることはありませんでしたが、視聴者にとっては想像をかき立てられるサスペンスの核となる要素でした。
記念撮影に現れた宍戸の“共犯”を匂わせる行動
第9話の終盤、高瀬の自宅で描かれたある不可解な場面が、宍戸の真の立ち位置を浮かび上がらせます。
それは、高瀬が「A〜Z」連続殺人を成し遂げたかに見えた直後、宍戸がさりげなく現れて彼のもとで記念写真を撮るという場面です。
あたかも“仲間の成功を祝いに来た”かのような、親しげで不自然な行動が、視聴者に衝撃を与えました。
宍戸は、高瀬と明確に共犯であると描写されてはいません。
しかし、記者として事件を追っていた人物が、犯人の自宅で自然に振る舞い、笑顔で写真を撮るというのは常軌を逸しています。
この場面は、彼が単なる観察者ではなく、何らかの「当事者」であることを強く印象づけました。
さらに不可解なのは、宍戸がその記念撮影を“証拠”として使おうとしていたわけでもなく、自身の満足のために撮ったように見えた点です。
これは、彼が高瀬の計画に一種の共感や賞賛すら抱いていた可能性を示唆しています。
「記者として真実を追う」という建前の裏に、強烈な野心と“事件を操る側”としての自己陶酔があったのではないでしょうか。
また、これまで宍戸が遺体発見を予測していたような行動や、「ABC殺人」の構造に通じていた知識の深さを考えると、記念撮影は犯行完遂を喜ぶ“仲間の合図”だった可能性もあります。
この行為一つで、宍戸の存在は単なる傍観者から、事件を後押ししていた「影の共犯者」へと変貌します。
ただし、決定的な証拠は描かれておらず、あくまで視聴者に委ねられる部分も多いのが『アンナチュラル』らしい演出です。
このあいまいさこそが、宍戸というキャラクターの不気味さと、物語の深みを際立たせる要因となっています。
高瀬との関係が示す裏の顔
物語が進むにつれ、宍戸と連続殺人犯・高瀬との関係性が徐々に浮かび上がってきます。
両者の距離感や行動の一致から、宍戸が単なる外部の記者ではなく、事件の裏側にいる“協力者”である可能性が濃厚になっていきます。
一見すると独立した立場に見える宍戸ですが、その言動からは強い依存関係や利害の一致が垣間見えるのです。
高瀬にとって宍戸は“隠れ蓑”だったのか
高瀬が大胆な犯行を繰り返すなかで、一切疑われることがなかったのは、表立った行動や証拠を残していなかったからです。
しかしその裏では、宍戸のような情報通が“報道”という名目で動いていたことが、高瀬にとっては都合の良いカモフラージュになっていた可能性があります。
宍戸は、高瀬の計画を知りながら、警察やUDIに完全な情報を渡さず、小出しにすることで操作の時間をコントロールしていたようにも見えます。
また、情報の“流れ”を操作できる立場にいた宍戸が、事件を記事にして世に出すのではなく、UDIに「絵」や「ヒント」を渡す形で接触している点にも注目が集まります。
これは単なる記者としての行動ではなく、事件の“方向性”を制御しようとする意図があったのではないでしょうか。
つまり、宍戸は高瀬にとっての防波堤であり、操作の“仕掛け人”でもあったのです。
この関係性は、連続殺人という極端な犯罪を、社会の視界からギリギリのところで隠すための巧妙な構図でした。
高瀬が表に出ずに済んだ理由のひとつは、宍戸の存在そのものだったのかもしれません。
宍戸の目的は“真実の追求”か“野心”か
物語の随所で印象的な動きを見せた宍戸。
彼の行動が物語の核心に迫るほどに、視聴者が感じたのは「この男は一体何を求めているのか?」という強烈な疑問でした。
その動機は、報道の使命感なのか、それとも名声やスキャンダルを狙った利己的な欲望なのか——。
記者としての執着か、操作された正義か
宍戸は一貫して「真実を知りたいだけ」と語っていました。
それは記者として当然の姿勢にも思えますが、その言葉の裏には常に“演出”がつきまとっていたように感じます。
例えば、情報を公に発表するのではなく、六郎を通じてUDIへ封筒を渡すやり方は、あくまで「舞台裏で動く存在」であることに徹していたとも言えます。
また、事件を自ら追い詰めながら、高瀬と馴れ合うような行動を取る一方で、UDIの調査能力を嘲笑するなど、強烈なアンチヒーローとして描かれていました。
この二面性は、彼が「真実」よりも「物語」を求めていたのではないかという解釈を可能にします。
つまり、自らが作り上げる“報道劇”の主役でありたいという欲求こそが、行動原理だったのではないでしょうか。
中堂への煽り行為に潜む真意
さらに注目すべきは、宍戸が中堂に対して執拗な挑発や煽りを繰り返していた点です。
「真犯人を見つけたければ、もっと必死になれ」と言わんばかりの言動や、金魚マークの情報を小出しにする態度は、まさに心理的な操作でした。
これは中堂を本気にさせるための“善意”と取れなくもありませんが、実際にはその過程もまた「報道ネタ」として収集していたように映ります。
中堂が自らの過去に苦しみながら犯人を追う姿や、法医学の限界に挑む姿を、宍戸は「素材」として見ていた節があります。
この非情さと冷静さの共存こそ、宍戸の持つ最も危険な側面でした。
彼は事件の当事者ではなかったかもしれませんが、物語を操る黒幕的存在であったことは間違いありません。
宍戸のキャラクターが物語にもたらしたもの
『アンナチュラル』における宍戸の存在は、単なる脇役やミステリードの装置では語りきれません。
彼は9話という一話限りの物語の中で、主人公たちの行動を揺さぶり、視聴者の思考をかき乱す強力な“異物”として描かれていました。
このキャラクターがいたからこそ、9話は単なる事件解決編ではなく、倫理や正義を問うドラマへと昇華したのです。
視聴者を惑わせたミスリードの中心人物
宍戸の行動や言動は、常に「犯人かもしれない」という疑念を抱かせるものでした。
あえて曖昧な情報を与えたり、核心に触れるような言葉を発したかと思えば、次の瞬間には無関係を装ったりと、その振る舞いは一貫性がないように見えて巧妙でした。
このブレのある描写は、視聴者にとっては強烈な心理的ミスリードとなり、ドラマのサスペンス性を飛躍的に高める要因となりました。
「あの男が犯人だ」と思わせておいて、実は違った。
でも「完全に無関係とも言い切れない」——。
この絶妙な“間”が、物語に奥行きを与えたのです。
シーズン2への布石となる伏線だったのか?
宍戸というキャラクターの不気味さや曖昧な結末は、多くの視聴者にとって“未完”の印象を残しました。
彼の動機や過去、高瀬との繋がりなどは明確に描かれることなく終わっており、むしろ続編への余白として機能しています。
もしシーズン2が制作されるならば、宍戸が再登場し、あのときの「本当の目的」が明かされる可能性も十分にあります。
また、視聴者に「再びあの男に会いたい」と思わせるほどのインパクトを残したのは、まさに脚本と演技の力に他なりません。
宍戸の存在は、『アンナチュラル』という物語がただの“医療ミステリー”ではなく、“社会と人間の闇”を描くドラマであることを証明した重要なピースでした。
アンナチュラル 宍戸の正体とその意味のまとめ
『アンナチュラル』第9話に登場した宍戸というキャラクターは、事件の構造だけでなく、視聴者の感情までも大きく揺さぶる存在でした。
彼の一挙手一投足が持つ意味は、単なるストーリーテラーではなく、事件を形づくる“もう一人の演出者”だったと言っても過言ではありません。
ミステリーの中で視聴者の目を引きつけ、ドラマに一段と深みを与えました。
彼は犯人ではなかった。
しかし、犯人の動機や犯行の流れを知りすぎていたという点で、関与を完全には否定できません。
また、被害者の持ち物である「ピンクのカバの絵」を保持していたという事実は、彼を事件の核心に限りなく近い存在として印象づけました。
そしてなにより、宍戸が記者として求めていた“真実”とは、単なる事件の解決ではなく、人々の心を揺さぶるドラマそのものだったのかもしれません。
彼にとって真実とは、書くための“素材”であり、名声と支配のための“材料”だったとも読み取れます。
それゆえに、視聴者は最後まで彼の本心を掴むことができず、得体の知れない不気味さを感じながら物語を見届けることとなりました。
宍戸というキャラクターは、物語をかき乱し、事件に別の意味を与える役割を果たしました。
そしてその存在は、たった一話でありながら、『アンナチュラル』というドラマが描こうとした「死の背景にある真実」と「それを伝える者の責任」を象徴していたとも言えるでしょう。
視聴後、改めて感じるのは、“宍戸の正体”とは、私たちの中にある「知りたい欲」と「煽られやすさ」そのものだったのかもしれないということです。
この記事のまとめ
- 「アンナチュラル 宍戸」は9話のキーパーソン
- 記者・宍戸の怪しい言動が事件を混乱させる
- 高瀬との関係や共犯疑惑が深まる展開
- ピンクのカバの絵が真犯人特定の鍵に
- 宍戸の真意は“真実”か“野心”かで揺れる
- 視聴者の考察を誘うミスリード要員として活躍
- 9話を通じて物語に緊張感と深みを与えた存在
- シーズン2への伏線としても意味深なキャラ
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