踊る大捜査線 THE FINAL 、すみれは何故バスのシーンで半透明だったのか?

ドラマ

2012年に公開されたシリーズ完結作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』。

そのクライマックスで描かれた、シリーズ史上最も衝撃的で、最も議論を呼んだシーン。

それは、恩田すみれが高速バスで倉庫に激突し、大破した車内から“半透明”の姿で現れる場面だ。

「なぜすみれがバスジャックを?」「あのクラッシュでなぜ無事なのか?」「彼女は幽霊になってしまったのか?」

多くのファンが混乱し、様々な憶測が飛び交ったこの演出の真意は何だったのか。

本記事では、監督の証言なども交えながら深く考察していく。

踊る大捜査線 THE FINAL、すみれは何故バスのシーンで半透明だったのか?:常識を覆した衝撃のクライマックス

まず、問題のシーンを正確に振り返ろう。

事件の黒幕である久瀬(香取慎吾)が、真下署長(ユースケ・サンタマリア)の息子を人質に倉庫に立てこもる。

青島(織田裕二)が犯人と対峙し、絶体絶命の窮地に陥ったその瞬間、けたたましいブレーキ音とともに一台の高速バスが倉庫の壁を突き破り、横転・大破する。

そして、めちゃくちゃになったバスの運転席から、腕を抑えながら姿を現したのは、他ならぬ恩田すみれ(深津絵里)だった。

しかし、その姿は一瞬、背景が透けて見えるほどおぼろげで、まるで幽霊のように見えた。

このシーンこそが、本作最大の謎である。

踊る大捜査線 THE FINAL、すみれは何故バスのシーンで半透明だったのか?:あれは「現実」と「奇跡の象徴」を重ねた意図的な演出

結論から言えば、あの半透明のすみれは「物理的には生還不可能な状況を乗り越えた奇跡の象徴であり、青島の視点から見た主観的な映像表現」である。

これは、本広克行監督自身の発言からも裏付けられている。

監督はインタビューで次のように語っている。

「あんなに大きなバスの事故で、生きていられるわけがない、そこで、青島とすみれさんが抱き合って、恋人のようなラブラブな会話をするんですが、実はあのすみれさんが実体じゃなかったらどうなるんだろうという思いで演出をしたんです」

(出典:MANTANWEB 2013年5月5日)

つまり、制作陣は「常識的に考えれば、あの状況で生きているはずがない」という事実を前提に、あえてすみれを「実体ではないかもしれない存在」=半透明として描いたのだ。

これは、決して心霊現象ではなく、計算され尽くした映像表現なのである。

ステップ1:物理法則を超えた「奇跡」の表現

まず、巨大な高速バスが猛スピードで建物に激突し横転する。

運転席に乗っていた人間が、軽傷で済む確率は天文学的に低い。

監督が言うように「生きていられるわけがない」のだ。

すみれが半透明になったのは、この「ありえなさ」「奇跡」を視覚的に表現するためだった。

もし彼女が何事もなかったかのようにピンピンした姿で出てきたら、観客は「ご都合主義だ」「リアリティがない」と感じてしまっただろう。

そこで「半透明」という演出を挟むことで、「これは現実の出来事でありながら、もはや奇跡としか言いようのない、現実を超えた何かが起きている」というニュアンスを観客に与えた。

それは、青島とすみれの絆が起こした奇跡の象徴でもあった。

ステップ2:青島の主観から見た「幻想的」な光景

あのシーンは、窮地に陥っていた青島の視点で描かれている。

犯人を前にし、極度の緊張と疲労の中にいた青島にとって、ありえない場所から、ありえない方法で現れたすみれの姿は、現実のものとして即座に認識しがたい光景だったはずだ。

「え、すみれさん…? なぜここに? 生きているのか…?」

その驚き、安堵、そして信じられないという感情が入り混じった青島の主観的な視点が、すみれの姿を一時的に半透明に見せた、と解釈するのが最も自然である。

つまり、観客は青島の心理を通して、あの奇跡の瞬間を目撃していたのだ。

ステップ3:「幽霊説」の否定

半透明という見た目から「すみれはあの事故で亡くなり、幽霊となって青島を助けに来たのでは?」という説も根強く囁かれた。

しかし、この説は明確に否定できる。

なぜなら、事件解決後のエピローグで、すみれは生身の人間として青島の前に現れ、二人は会話を交わしているからだ。

もし彼女が亡くなっていたら、このシーンは成り立たない。

監督の狙いは、「彼女は死んだ」と確定させることではなく、「死んでもおかしくない状況だった」「死を覚悟して助けに来た」という彼女の壮絶な覚悟と、二人の絆の強さを極限の形で表現することにあったのだ。

踊る大捜査線 THE FINAL、すみれは何故バスのシーンで半透明だったのか?:まとめ

恩田すみれのバス突入と半透明の登場シーンは、以下の複数の意味が込められた、極めて高度な演出だったと言える。

・物理法則を超えた奇跡の視覚的表現

・極限状況における青島の主観的な視点

・死を覚悟したすみれの覚悟と、二人の絆の象徴

常識やルールに縛られず、仲間と正義のために無茶を厭わない。

それこそが「踊る大捜査線」の刑事たちの姿だった。

すみれがバスで突っ込むという行為は、その究極の形である。

そして、そのありえない行動がもたらした「奇跡」を、半透明という幻想的な映像で表現することで、制作陣は15年にわたるシリーズのフィナーレを、現実とロマンティシズムが融合した忘れられない名シーンとして私たちの心に刻み込んだのである。

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