祇園祭の山車の絵柄になんで西洋のタペストリーがあるの?

祇園祭の山車の絵柄になんで西洋のタペストリーがあるのか疑問に思ったことはないですか?

毎年、京都で祇園祭が開催されております。

祇園祭と言えば山車の巡行を連想される方が多いのではないでしょうか?

たしかに山車の迫力や華やかさは目を引きます。

実際、祇園祭では豪華な山車巡行を楽しみに毎年沢山の人が訪れています。

山車の装飾は色々ありますが、その中でも迫力や華やかさを演出してるのがタペストリーです。

山車が神秘的なタペストリーを飾り、優雅に巡行する姿は動く芸術とも言われてます。

でもタペストリーの絵柄を見ると違和感はありませんか?

日本三大祭りで知られ、1100年の歴史のある日本の祭りに、西洋のタペストリーが飾られているのは何故だろうと思う方もいるのではないでしょうか。

そこでこの記事では祇園祭に西洋のタペストリーがなぜ飾られてるのか?

祇園祭の歴史や文化も紹介させて頂きます。

この記事を読んで祇園祭を更に好きになって頂けたら嬉しいです。

祇園祭の山車の絵柄になぜタペストリーがあるの?:タペストリーが何故あるのか歴史や物語

祇園祭の起源は平安時代です。

当時、都で疫病が流行してしまいました。

その原因である疫神を退散させるために行われました。

祭りが始まった当初、勿論タペストリーは置いてませんでした。

鎌倉時代に、鉾や長刀など装飾が飾られるようになりましたが、まだタペストリーは登場してません。

その後、山車はお互いの町が装飾の豪華さを競うようになり、年々巨大化していきます。

祭りが始まり数百年が経過して、江戸時代になりました。

ついに西洋のタペストリーが飾られるようになります。

祇園祭の山車の絵柄になぜタペストリーがあるの?:タペストリーが祇園祭に飾られるようになった理由

当時の日本は鎖国してましたが、唯一オランダとは交易の関係にありました。

タペストリーはオランダから徳川家に献上された品でした。

その当時の京都は商売で多くの富を得た人がいました。

豪商は徳川家よりも遥かに裕福で、徳川家は豪商に莫大な借財がありました。

そのようなこともありベルギーから徳川家へ献上されたタペストリーは、京都の豪商に渡りました。

このような経緯で、祇園祭の山車に飾るようになりました。

祇園祭の山車の絵柄になぜタペストリーがあるの?:祇園祭の西洋のタペストリーの世界

長刀鉾

長刀鉾のタペストリーにはイスラムと中国の文化交流が見られます。

歴史的に文化的にも非常に貴重なタペストリーで、そのため現在は保存されており、代わりに復元品が使用されてます。

鶏鉾

鶏鉾の見送りは日本に現存するタペストリーで最古の一つです。

鯉山の物と合わせ、国の重要文化財に指定もされており、図柄には古代ギリシャのトロイア戦争物語の一場面や、戦いに向かうトロイア王アンドロマーケが息子のアスチュアナクスと別れる一場面も描かれてます。

このタペストリーは元々は一枚しかありませんでしたが、二つに切断されたものです。

もう片方は滋賀県の曵山祭で使われてますが、貴重なタペストリーを切るのは、凄く勿体なく感じるのは私が現代の人間だからですかね。

白楽天山

白楽天山はヨーロッパのタペストリーを贅沢に複数使ってます。

例えば、ギリシャのイーリアスのトロイア戦争が前懸に使われてます。

トロイア将軍が老いた父を背中に背負って、陥落して城から助け出す姿が描かれています。

こちらも切断されていて、滋賀県の曵山祭の見送りとして使われてます。

祇園祭の山車の絵柄になぜタペストリーがあるの?:まとめ

祇園祭の車山に西洋のタペストリーが何故あるのか、タペストリーの歴史について書かせて頂きました。

タペストリーの種類も沢山あり、西洋や中国の物などもあり、国際色豊かなものになっています。

どれも重要文化財に値するくらい貴重な物ばかりです。

今年の夏はあなたも動く芸術を見に行ってはいかがでしょうか?

きっと良い思い出になりますよ。

 

 

 

 

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