『キングダム』に登場する秦の六大将軍・白起(はくき)。彼は史実においても名将とされながら、最期は非業の死を遂げました。
長平の戦いで40万もの趙兵を処刑し、中華全土に恐れられた白起。しかし、その後の彼の運命はどのようなものだったのでしょうか?
本記事では、『キングダム』作中の描写と史実を比較しながら、白起の戦術や最期の真相について詳しく解説します。
この記事を読むとわかること
- 白起の史実と『キングダム』作中での違い
- 長平の戦いで40万の趙兵を処刑した理由
- 白起が自害に追い込まれた経緯と最期の言葉
白起とは?『キングダム』と史実の違い
白起は秦の六大将軍の一人として名を馳せた武将であり、その冷徹な戦術と圧倒的な戦果で中華全土に恐れられました。
『キングダム』では長平の戦いを中心に描かれますが、実際の白起は他にも数々の戦功を残しています。
ここでは、史実における白起の実像と、作品内での描かれ方の違いについて詳しく見ていきます。
史実における白起の人物像
史実の白起は、秦の昭王に仕えた名将であり、徹底した戦略で敵を殲滅することに長けていました。
戦場では冷静沈着に相手の動きを読み取り、敵軍の弱点を突く戦法を得意としました。
また、彼は武力だけでなく情報戦にも精通し、敵国の内部に揺さぶりをかけることで、戦わずして勝利を収めることもありました。
『キングダム』作中での白起の描かれ方
『キングダム』では、白起は長平の戦いの回想シーンに登場し、40万の趙兵を処刑した残虐な武将として描かれています。
その非情な決断は、後の時代にまで影響を及ぼし、趙国の人々に深い恨みを植え付けることになります。
一方で、彼の戦略眼や武将としてのカリスマ性も強調されており、ただの残忍な人物としてではなく、秦の繁栄を支えた名将としての一面も描かれています。
長平の戦いと白起の決断
白起の名を歴史に刻んだ最大の戦いが「長平の戦い」です。この戦では、秦軍が趙軍を圧倒し、最終的には投降した兵士を大量に処刑するという衝撃的な結末を迎えました。
なぜこのような非情な決断を下したのか、その背景を探ります。
長平の戦いでの白起の策略
長平の戦いは、紀元前260年に秦と趙の間で行われました。当初、趙軍は名将・廉頗(れんぱ)が率いており、戦況は膠着状態が続いていました。
しかし、白起は情報戦を駆使し、秦軍が廉頗ではなく趙の若き将軍・趙括(ちょうかつ)を恐れているという噂を流しました。
これを信じた趙王は廉頗を解任し、実戦経験の乏しい趙括を総大将に据えます。この判断が趙にとって致命的な結果を招くことになりました。
40万の趙兵を生き埋めにした理由
白起は趙括率いる趙軍を巧みに誘い込み、完全に包囲することに成功しました。補給路を断たれた趙軍は餓死寸前に追い込まれ、最終的に降伏を余儀なくされます。
しかし、ここで白起は趙兵を助命せず、大量処刑という選択をします。その理由としては、以下の点が挙げられます。
- 秦軍には大量の捕虜を養う余裕がなかった
- 降伏兵が反乱を起こすリスクを避けたかった
- 趙の戦力を根絶し、徹底的に戦意を削ぐ必要があった
こうして、趙軍の兵士たちは処刑され、その出来事は「長平の虐殺」として後世に語り継がれることになりました。
史実と異なる処刑人数の謎
『キングダム』では40万の兵が処刑されたと描かれていますが、史実では約20万人とする記録もあります。
一方で、白起が趙兵を処刑したこと自体は確かであり、その規模がいずれにせよ前代未聞の大量虐殺であったことは間違いありません。
白起の最期―なぜ死亡に追い込まれたのか?
長平の戦いで大戦果を上げた白起でしたが、彼の最期は意外にも戦場ではなく、自害という形で幕を閉じました。
なぜ秦王は白起を処刑せず、自害を命じたのでしょうか?
范雎(はんしょ)の陰謀と白起の失脚
長平の戦いの後、白起は秦王・昭襄王(しょうじょうおう)からさらなる戦を命じられます。しかし、白起は疲弊した軍の状況を理由に進軍を拒否しました。
この行動が秦王の怒りを買い、白起は失脚。さらに、当時の秦の宰相・范雎(はんしょ)が白起の影響力を恐れ、彼を追放する策略を巡らせます。
結果として、白起は王の信頼を失い、政治的に孤立してしまいました。
「私は天に対して罪を犯した」自害の真相
最終的に白起は、秦王の命令により自害を強いられます。
自害の直前、彼は「私は20万もの人々を生き埋めにした。私は天に対して罪を犯したのだ」と語ったとされています。
長平の虐殺が彼の心に深い罪悪感を刻み込み、最後はその責任を背負って自ら命を絶ったと考えられます。
白起の死が秦国に与えた影響
白起の死後、秦軍の勢いは一時的に低下しました。彼の戦術を継ぐ者は現れず、趙を完全に滅ぼすにはさらに時間を要することとなります。
一方で、白起の戦い方は後の時代の将軍たちにも影響を与え、秦の統一への道を切り開く一因となりました。
まとめ:白起は英雄か、それとも悲劇の将か?
白起は圧倒的な戦果を上げた名将でありながら、その非情な決断が自身の最期を招いたとも言えます。
英雄として賞賛されるべきか、それとも冷酷な将として語り継がれるべきか――彼の存在は今なお議論の的となっています。
『キングダム』を読む際には、こうした史実の背景も踏まえて白起という人物を見つめ直すと、より深く物語を楽しめるでしょう。
この記事のまとめ
- 白起は秦の六大将軍の一人で、数々の戦果を上げた名将
- 長平の戦いで趙軍を圧倒し、40万の兵を処刑したとされる
- 史実では処刑人数は約20万人とされる説もある
- 白起は范雎の策略により失脚し、最終的に自害に追い込まれた
- 「私は天に対して罪を犯した」との言葉を残し、悲劇的な最期を迎えた
- 彼の戦略と決断は秦の統一に大きな影響を与えた
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