壮絶なイジメを受けた主人公ムン・ドンウンが、大人になって緻密な復讐を遂げる韓国ドラマ『ザ・グローリー』。最終回では、一人ひとりに“地獄”を与え、加害者たちは身体や魂を奪われる。ネット上では「復讐は完全な清算だが、18年の傷は消えない」との声や、ポスターの象徴表現から結末を読み解く分析が注目されています 。今回は、「ザグローリー 最後」の核心に迫る構成で、物語の余韻と意味を整理します。
この記事を読むとわかること
- 『ザグローリー 最後』の結末と復讐の全貌
- 登場人物それぞれに下された“制裁”の意味
- ドラマ後の俳優たちの動向と作品の影響力
最終回での“制裁”の描写
『ザ・グローリー』の最終回では、主人公ムン・ドンウンによる壮絶な復讐劇がついに完結します。
加害者たち一人ひとりに身体的かつ精神的な罰が与えられ、その描写はまさに「制裁」と呼ぶにふさわしいものです。
ここでは、主要な5人の加害者たちがどのような最期を迎えたのか、象徴的なシーンを交えながら振り返ります。
特に印象的だったのは、ヨンジンの精神崩壊です。
彼女は精神病院に監禁され、自身の行いによって娘からも拒絶されるという社会的死を迎えます。
過去に他人を焼いた火が、今度は自分を焼き尽くすような終焉で、復讐の構図が見事に完結していました。
ジェジュンは視力を失い、高所から突き落とされて命を落とすという、視覚を奪う罰を受けます。
これは「他人を見下してきた彼の目を奪う」という構図で、ポスターの“目”の象徴とも一致します。
視覚を失う=支配力を失うという意味合いが含まれているとも考察されています。
ミョンオは失踪後、遺体で発見され、劇中では誰が殺したのかが明かされないまま物語が進行します。
この点はSNSでも多くの憶測を呼び、「復讐が必ずしも明瞭な形で終わるとは限らない」という余韻を残しました。
サラは麻薬使用が発覚し、暴行事件を起こして逮捕されるという自滅型の制裁を受けます。
信仰に逃げながらも現実から目を背け続けた結果、社会からも信者からも見放される姿が描かれていました。
へジョンもまた、声を失い、結婚も破談になるなど、「言葉」を奪われる罰に見舞われます。
このように、各キャラクターに与えられる罰は、過去の罪と鏡合わせのように設計されており、ポスターに描かれた“身体の部位”との連動が巧みに配置されています。
最終回は単なる復讐の終着点ではなく、罪と罰の必然性、そしてその重みを視聴者に突きつける演出が光っていました。
まさに『ザ・グローリー』の集大成ともいえる濃密な描写です。
復讐の“清算”とその後
復讐という壮絶な計画をやり遂げたムン・ドンウン。
その後の展開には、“清算”された者たちの姿と、ドンウン自身の人生の再構築が描かれています。
物語は復讐で終わるのではなく、そこからどう生き直すかに焦点が移るのです。
まず、加害者たちの“清算”のかたちはさまざまです。
ミョンオは物語中盤で姿を消し、のちに遺体で発見されます。
彼の死は原因も犯人も明かされないまま終わりますが、罪に向き合うことを拒んだ者の末路として描かれているように感じました。
ジェジュンは失明したうえで、屋上から突き落とされて死亡。
彼にとってすべてを支配する手段だった“視覚”を失った末に命を落とす姿には、復讐の象徴的な終着点が込められています。
また、へジョンやサラも、それぞれの罪に見合った形で社会的に崩壊していきます。
しかし物語の焦点は、むしろムン・ドンウンのその後に移っていきます。
彼女は復讐を果たしたものの、自身の空虚さに向き合う時間を持ちます。
すべてを成し遂げた後の心の空白を埋めるように、彼女は“復讐”ではなく社会貢献へと歩み出すのです。
彼女が選んだのは、刑務所でのボランティア。
そして、同じく過去に苦しみを抱えた外科医ヨジョンとともに、新たな目的を持って生きることを選択します。
「復讐のあとに愛と赦しがあるのなら、それこそが人生の再出発だ」と感じさせる終幕でした。
また、彼女がヨジョンの復讐に協力するため、今度は“観察者”から“実行者”になる描写も見逃せません。
ここで物語は閉じるのではなく、もう一つの物語の始まりを示唆します。
『ザ・グローリー』は、復讐というテーマを超えて、人生をどう生き直すかという問いを投げかける物語だったのです。
その先にある“解放”のかたちが、静かに、しかし確かに描かれていました。
清々しさと喪失感の葛藤
『ザ・グローリー』の最終回を観終えた視聴者の多くが、「スッキリした」と語る一方で、
同時に「重く苦しい気持ちが残った」とも口にしています。
この相反する感情こそが、本作が単なる復讐劇ではなく人間の痛みや弱さに深く踏み込んだ物語である証なのかもしれません。
ドンウンの復讐がすべて計画通りに進み、加害者たちが次々と追い詰められていく展開には、観る側として爽快感があります。
視聴者が長年抱いてきた「悪は裁かれるべき」という感情を、作品が代弁してくれたような気持ちになったのです。
しかし同時に、ドンウンが背負った傷の深さや、自分の人生をすべて復讐に捧げてきた姿には、大きな喪失感も伴います。
ネット上では、「復讐は果たされたけど、彼女の18年は戻らない」という声や、
「自分だったらそこまでの執念を持てない」という感想が多く見られました。
“自分の青春を失ってでも復讐に人生をかけた”その姿に、涙が止まらなかった(noteより)
また、ドンウンと関わるキャラクターたち――ヨジョン、ヒョンナム、イェソル――それぞれもまた、
自らの傷を抱えながら他人を助けようとする姿が描かれ、
単なる“被害者vs加害者”という構図を超えた複雑な感情の絡み合いが胸に迫ってきます。
とくにヨジョンとの関係は、恋愛とは違う、深い信頼と絆で結ばれている点が印象的でした。
復讐を通して出会い、心を通わせた二人が、最後に同じ道を選ぶことで、「愛では救えない痛みもある」という現実を浮き彫りにします。
『ザ・グローリー』のラストは、“救い”があったのか、それとも“救われないまま終わった”のか、人それぞれの解釈を許す構成になっています。
その余韻の深さが、多くの視聴者の記憶に残る所以なのではないでしょうか。
“復讐”が問いかけるもの
『ザ・グローリー』の復讐劇は、ただのエンタメではありません。
そこには「正義とはなにか」「復讐は許されるのか」といった、深い倫理的テーマが流れています。
この章では、作品が視聴者に訴えかけたその問いに迫ります。
ムン・ドンウンは、正規の法的手段では裁けなかった加害者たちに対して、独自の制裁を下しました。
それは計算し尽くされた策略でありながら、加害者を地獄に落とす一種の正義でもあります。
しかし、彼女が“加害者”の立場に移る瞬間もあり、その境界線のあいまいさが心に残ります。
また、彼女のそばにいたヨジョンも、自分の父を殺した男への復讐を胸に抱えており、
二人が最後にともに選ぶ道は、「復讐の連鎖」というもう一つの現実を映し出します。
復讐は本当に終わるのか?という視聴者の問いに、明確な答えは示されない。
その一方で、本作は「人とのつながり」によって心が救われる可能性も描いています。
ドンウンが母親との絶縁や、ヒョンナムと娘イェソルの関係に心を寄せるシーンなどは、人間関係の再構築がテーマになっています。
復讐だけでは人は癒されない――それが作品のもう一つのメッセージかもしれません。
そして何より、『ザ・グローリー』が注目された理由のひとつは、脚本と演出の完成度の高さにあります。
キム・ウンスク脚本家は、これまでの恋愛作品とは異なるトーンで、加害者と被害者の心理戦をリアルに描きました。
また、静かな音楽やクローズアップによるカメラワークも、復讐の重さを視覚的に強調しています。
『ザ・グローリー』は、視聴者に問いを投げかけます。
「あなたならどうする?」と。
その問いかけが、このドラマをただの復讐劇で終わらせず、社会的にも深く議論される作品にしたのです。
ポスト・ザグローリー:俳優のその後
『ザ・グローリー』が大ヒットを記録した後、
出演した俳優たちのその後にも、多くの関心が集まりました。
作品を超えて話題となったキャストたちの“今”を振り返ります。
まず最も注目を浴びたのが、ヨンジン役のイム・ジヨンと、
ヨジョン役のイ・ドヒョンの熱愛報道でした。
2023年に交際を公表し、共演者から恋人へと発展したニュースは韓国のみならず日本でも話題となり、
「悪役と救世主が恋人に」という対比もまた、作品の余韻を引き立てました。
主演のソン・ヘギョは、本作でそれまでのイメージを覆すような復讐者の役を演じきり、
百想芸術大賞では最優秀女優賞を受賞するなど、キャリアの新たな頂点に立ちました。
「感情を抑えた演技が圧巻だった」「今後もシリアスな役を観たい」といった高評価が相次ぎました。
他のキャスト陣もそれぞれの個性を活かし、次々と話題作への出演が決まっています。
特にヘジョン役のチャ・ジュヨンはバラエティ番組にも出演し、作品中とのギャップが話題に。
また、サラ役のキム・ヒオラは、別作品でまったく違う役柄を演じることで女優としての幅を広げつつあります。
『ザ・グローリー』の人気は作品にとどまらず、Netflixのランキングでも長期間上位を維持。
「この作品のためにNetflixに加入した」という視聴者の声も多く、グローバルでの影響力を示しました。
この成功により、韓国ドラマの国際的な評価もさらに高まったと言えるでしょう。
物語が終わったあとも、その余韻は俳優たちの歩みにまで色濃く残っています。
『ザ・グローリー』は、単なる復讐劇ではなく、俳優たちの新たなステージを開いた作品でもあったのです。
この記事のまとめ
- 『ザグローリー 最後』で描かれる復讐の完結
- 加害者たちに与えられた象徴的な罰の描写
- ムン・ドンウンのその後と再出発の姿
- 視聴者の間で生まれた清々しさと喪失感
- 復讐の倫理や人間関係の再構築への問いかけ
- 俳優たちの演技とその後の活躍に注目
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