ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声

ドラマ

韓国の大人気ドラマ・ウェブ漫画『ユミの細胞たち』は、主人公ユミの感情や行動を、彼女の脳内の「細胞たち」の視点で描いたユニークな作品です。

愛、理性、プライド、感性など、多種多様な細胞が登場し、ユミの人生を左右する決断に大きな影響を与えています。

しかし、物語を見進める中で、一部の視聴者や読者から「ユミのことがどうしても好きになれない」、「共感しづらい」といった声が聞こえてくるのも事実です。

では、なぜユミというキャラクターは時に共感されづらいのでしょうか?

この記事では、キャラクター設計、心理描写、ストーリーの構造という3つの観点から、その理由を解き明かしていきます。

ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声:ユミの「リアルすぎる人間らしさ」が引き起こす距離感

完璧ではない、だからこそ難しい

ユミは典型的な「普通の女性」として描かれています。

華やかでもなければ、特別な才能があるわけでもない。

恋に悩み、仕事に疲れ、時には自分本位になってしまう。

これは、多くの現実の人々と同じです。

しかし、その「リアルさ」こそが、時に視聴者にとってフラストレーションの元になるのです。

具体例:

ウンとの交際中、ユミは相手の無神経さに悩みながらも、直接的に問題を指摘できない。

バビとの関係では、自分の不安や猜疑心から相手を試すような言動が増え、結果的に関係がぎくしゃくする。

こうした一連の行動は、「自分にもある」と感じる人には共感を生む一方で、「何でそんなことするの?」というイライラを呼び起こすこともあります。

ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声:細胞たちの存在が「ユミの弱さ」を強調する

細胞が見えるからこそ、迷いが露骨に見える

『ユミの細胞たち』の最大の特徴は、ユミの感情や思考が擬人化された「細胞たち」として描かれることです。

・愛細胞

・理性細胞

・プライド細胞

・ヤキモチ細胞

・空腹細胞

これらが常に議論し、喧嘩し、バランスを崩しているのが視聴者に丸見えです。

具体例:

恋愛の場面で、愛細胞が先走る一方で、プライド細胞がブレーキをかける。

理性細胞が「冷静になろう」と言っても、ヤキモチ細胞が大暴れして行動をミスリードする。

つまり、普通のドラマなら内面の葛藤は暗示的に描かれるところが、この作品では視覚的にダイレクトに伝わるため、ユミの「弱さ」「面倒くささ」が非常に際立つのです。

ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声:恋愛依存的な側面が賛否を呼ぶ

恋愛が中心に回る人生

ユミの物語の大きなテーマは「恋愛」です。

キャリア、友情、自己実現といった他の要素は脇に置かれ、物語は常に恋愛の成否を中心に進行します。

この点については、現代の視聴者、とくに自立を重んじる層からは批判も多いです。

具体的な指摘:

失恋のたびに自己肯定感が著しく下がり、生活全体が停滞する。

恋人に対して依存的になりすぎる一方で、自分のキャリアや夢への情熱が弱い。

相手の些細な行動(LINEの返信の遅さなど)に極端に振り回される。

このような描写は、「古臭い」「女性像として共感できない」という感想を生むことも。

ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声:自己成長の遅さへの苛立ち

同じ失敗を繰り返す

ユミは物語の中で、何度も恋愛で傷つき、そのたびに細胞たちは学習します。

しかし、次の恋愛ではまた同じパターンの不安や嫉妬、過剰な期待に悩まされます。

具体例:

ウンとの関係では「距離感」が問題だったのに、バビとの関係でも同じように過干渉になったり、逆に不安になったりする。

この「成長が遅い」感じが、視聴者にとっては「またか…」という感覚を呼び、共感を阻害する原因になっています。

結局、ユミは「鏡」だから

ユミが完璧でもなければ、常に前向きでもないのは、視聴者自身の姿を映しているからです。

・嫉妬することもある

・恋愛で不安になることもある

・自分に自信が持てないこともある

これらは決して「悪い」ことではなく、人間として当然の感情。

ユミが時に「好きになれない」と感じるのは、自分の中の受け入れたくない部分を彼女が代弁しているからとも言えるのです。

ユミの細胞たち、ユミが嫌いと言う声:まとめ

『ユミの細胞たち』のユミは、決して理想の女性でもなければ、ヒロインらしい華やかさもありません。

むしろ、その不完全さや不器用さこそが、この物語の魅力でもあります。

だからこそ視聴者は時にユミに苛立ち、好きになれないと感じる。

しかし、それは裏を返せば、「自分自身と向き合っている証」でもあるのです。

最終的にユミは、恋愛だけでなく自分自身の幸せを見つける旅に出ます。

その過程こそが、すべての人にとって共感できる人生の物語なのです。

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