国民的ドラマ・映画として、今なお多くのファンに愛され続ける「踊る大捜査線」シリーズ。
数々の名セリフや心に残るシーンが思い浮かびますが、その中でもファンの間で「あれ、食べたくなるよね」と語り継がれる、ささやかながらも象徴的なアイテムがあります。
それが「キムチラーメン」です。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」という青島俊作の叫びや、スリーアミーゴスの軽妙なやり取りほど派手ではありません。
しかし、なぜ多くの視聴者の記憶に、このカップラーメンは深く刻み込まれているのでしょうか。
本記事では、「踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?」という問いを深掘りし、その理由を論理的に紐解いていきます。
「踊る大捜査線」シリーズに度々登場するキムチラーメン🍜
これもう売ってないのかな?😅
食べてみたかったな…💦笑#踊る大捜査線 #室井慎次 #柳葉敏郎 #織田裕二 pic.twitter.com/7YY7AeJmeA— KAZUSAMAO0922@GMAIL.COM-neo (@3rd_DRAGONext) November 16, 2024
踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?:キムチラーメンはいつ、どこで登場したのか
ファンの間で特に印象的とされるキムチラーメンのシーンが登場するのは、シリーズの人気を不動のものにした劇場版第2作『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年公開)です。
物語の序盤、連続殺人事件の捜査が本格化する前の湾岸署。
深夜、残業する主人公・青島俊作(演:織田裕二)と同僚の恩田すみれ(演:深津絵里)が、デスクでカップラーメンをすする場面があります。
この時に青島が食べていたのが、湯気の立つ真っ赤な「キムチラーメン」でした。
緊迫した捜査本部ではなく、日常業務に追われる刑事課のリアルな風景。
パソコンのモニターに向かいながら、あるいは同僚と他愛ない会話を交わしながら食べる夜食。
この何気ないシーンこそが、「踊る大捜査線」が描き出した「刑事という職業の日常」を象徴しており、視聴者に強い親近感を抱かせました。
特別なご馳走ではなく、どこにでもあるカップラーメン。
その選択が、作品の持つリアリティを一層際立たせたのです。
最近久しぶりに踊る大捜査線のテレビシリーズを見直したのですが、踊る大捜査線観るとキムチラーメン食べたくなるよね?ヽ(・∀・)ノ(笑)
お惣菜の唐揚げドーン!した← pic.twitter.com/pGd1UXVXf8— 赤髪の貴公子 CRAZY DEVIL (@crazydevil69jp) October 29, 2024
踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?:なぜ「キムチラーメン」だったのか?3つの視点からの考察
数あるカップラーメンの中から、なぜ「キムチラーメン」が選ばれたのでしょうか。
これには、作品のテーマ性やキャラクター造形に深く関わる、いくつかの理由が考えられます。
「リアリティ」の追求と時代の空気感
「踊る大捜査線」シリーズが画期的だったのは、従来の刑事ドラマが描いてきたヒーロー像を覆し、警察組織という巨大な官僚機構の中で働く「サラリーマンとしての警察官」の姿を徹底したリアリティで描いた点にあります。
昼夜を問わず続く捜査、山のような書類仕事、そして不規則な食事。
そんな多忙な刑事たちのエネルギー源として、手軽で、安く、そして空腹をしっかり満たしてくれるカップラーメンは、まさにうってつけのアイテムです。
この小道具一つで、彼らが置かれている過酷ながらも人間味あふれる労働環境を雄弁に物語っています。
また、映画が公開された2003年頃は、2002年の日韓共催ワールドカップの影響もあり、韓流ブームや激辛ブームが日本社会に定着しつつあった時期です。
キムチはすでに日本の食卓に広く浸透しており、「キムチラーメン」は多くの人にとって馴染み深いフレーバーでした。
この絶妙なチョイスは、作品に当時の「空気感」をまとわせ、視聴者が物語の世界に入り込むためのリアルな接点として機能したのです。
主人公・青島俊作のキャラクター性の象徴
キムチラーメンは、主人公・青島俊作のキャラクターを深める小道具としても重要な役割を果たしています。
青島は、エリート街道を歩んできたキャリア組とは対照的な、現場一筋の叩き上げ刑事です。
彼の行動原理は常に「市民を守る」という熱い正義感に基づいています。
そんな彼のパワフルで情熱的な内面が、カプサイシンの刺激が効いた真っ赤なキムチラーメンのイメージと見事に重なります。
高級レストランで食事をするキャリア官僚との対比として、庶民的なカップラーメンをすする姿は、彼の「現場主義」と「庶民感覚」を際立たせます。
決して気取らず、どんな状況でもエネルギッシュに事件に立ち向かう。
キムチラーメンをすする音は、そんな青島俊作という男の生命力そのものを表現していたと言えるでしょう。
物語における「静」と「動」の巧みな対比
物語の構造上、このキムチラーメンのシーンは、これから本格化する大事件の前の「静」の部分を担っています。
仲間との何気ない会話が交わされる日常の風景。
この穏やかな時間が丁寧に描かれるからこそ、その後に続く、湾岸署全体を揺るがす凶悪事件という「動」の展開がより一層引き立ちます。
束の間の休息と、これから訪れるであろう激務の予感。
キムチラーメンの湯気の向こうには、そんな刑事たちの日常と非日常の境界線が描かれていたのです。
観客は、このシーンで登場人物たちに感情移入し、彼らの日常が脅かされることへの緊張感を高めていきます。
つまり、キムチラーメンは物語の緩急をつけ、サスペンスを盛り上げるための巧みな演出装置でもあったのです
踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?:ファンに与えた影響と文化的広がり
このシーンは、多くのファンの心に強く焼き付きました。
映画を観た後、無性にキムチラーメンが食べたくなったという声が当時から数多く聞かれました。
SNSが普及した現代においても、「踊るを観るとキムチラーメンが食べたくなる」「青島刑事セットで鑑賞中」といった投稿が後を絶ちません。
これは、ファンが物語の登場人物と同じものを食べ、同じ体験を共有したいと願う「聖地巡礼」にも似た心理です。
特定のロケ地を訪れるだけでなく、作中のアイテムを自らの日常に取り入れることで、より深く作品世界に没入する。
キムチラーメンは、ファンと作品を繋ぐ、美味しくて手軽な共通体験のトリガーとなったのです
踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?:まとめ
改めて、「踊る大捜査線と言えばキムチラーメン?」という問いに立ち返りましょう。
結論として、その答えは「イエス」と言えるでしょう。
キムチラーメンは、単なる劇中の食事シーンに登場した小道具ではありません。
それは、「踊る大捜査線」という作品の核である「徹底したリアリティ」、主人公・青島俊作の「キャラクター性」、そして巧みな「物語の緩急」を象徴する、極めて重要なアイテムです。
一杯のカップラーメンに、作品の哲学と魅力が凝縮されている。
だからこそ、20年以上経った今でも、多くのファンが「踊る大捜査線」を語る上でキムチラーメンを思い出し、あの熱い物語に思いを馳せるのです。
今夜、久しぶりに「踊る大捜査線」シリーズを見返してみてはいかがでしょうか。
そのお供にはもちろん、湯気の立つキムチラーメンをお忘れなく。
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