踊る大捜査線の名言、「偉くなれ!」を深掘り

ドラマ

「踊る大捜査線」が、単なる刑事ドラマの枠を超えて社会現象とまでなったのは、事件の面白さだけでなく、そこで描かれる「組織と個人」の生々しい葛藤があったからです。

そして、その葛藤を象徴し、作品全体の「魂」とも言えるのが、ベテラン刑事・和久平八郎(演:いかりや長介)が、主人公・青島俊作(演:織田裕二)に投げかけたこの言葉です。

「正しいことをしたかったら、偉くなれ」

一見、理想に燃える若者をいさめる現実的な言葉のようにも聞こえます。

しかし、この短いセリフには、警察という巨大組織の不条理と、それでも正義を貫こうとする者への、痛切なエールが込められています。

本記事では、この名言を論理的に深掘りし、なぜ今も私たちの心を打ち続けるのかを考察します。

踊る大捜査線の名言、「偉くなれ!」を深掘り:和久平八郎という「重み」

このセリフの重要性は、まず「誰が」言ったかにあります。

和久平八郎は、キャリア組でもエリートでもなく、定年間近の「ヒラ刑事」です。

彼は、青島が直面するよりもずっと長く、組織の理不尽さや「上」の都合で正義がねじ曲げられる現場を経験してきました。

彼自身は「偉く」ありません。

むしろ、「偉くなる」ことを選ばず(あるいは選べず)、現場にあり続けた人物です。

その彼が、自らの刑事人生の集大成として、理想に燃える青島にこの言葉を託すのです。

ここには、「俺のようにはなるな」という諦念と、「お前ならできるかもしれない」という希望が同居しています。

彼自身が「偉くなかった」からこそ貫けなかった正義があった。

その無念と現実を知る者だからこそ、この言葉は圧倒的な重みを持つのです。

踊る大捜査線の名言、「偉くなれ!」を深掘り:「正義のための権力」という現実

和久の言葉を分解してみましょう。

「正しいこと」:

青島が信じる「市民を守る」「筋を通す」という現場の正義。

「したかったら」:

それを「実行」に移したければ。

「偉くなれ」:

組織内で影響力を持てる地位(権力)を持て。

青島は当初、「偉くなくても正しいことはできる」と信じています。

しかし、シリーズを通して彼は何度も壁にぶつかります。

犯人を追いたくても「上」がストップをかける。

真実を公表したくても「組織のメンツ」がそれを許さない。

和久のセリフは、「情熱や理想だけでは、組織のルールや政治力には勝てない」という冷徹な現実を突きつけています。

そして、「本当に正しいことを貫き通すためには、その正義を守るための『力(=地位)』が必要なんだ」という、極めて現実的な戦略を若き青島に示唆しているのです。

踊る大捜査線の名言、「偉くなれ!」を深掘り:二人の後継者

和久のこの言葉は、奇しくも「踊る大捜査線」のもう一人の主人公、室井慎次(演:柳葉敏郎)の生き方そのものを指しています。

室井は、警察組織を変革するという「正しいこと」のために、あえて現場を離れ、キャリアとして「偉くなる」道を選んだ人物です。

彼は、組織の論理の中で汚れ仕事も引き受けながら、頂点を目指します。

和久のセリフは、この二人の主人公の道を照らし出します。

室井慎次:

和久の言葉を「組織改革」として体現する道。

青島俊作:

和久の言葉を「現場の正義を守る」ために、室井という「偉い」存在と連携する道。

青島は、自分が「偉くなる」のではなく、室井に「偉くなって」もらうことで、自らの正義を貫く道を選びます。

「俺は現場で、あんたは上で」という二人の約束は、まさに和久が示した「正義と権力」のジレンマに対する、彼らなりの答えなのです。

踊る大捜査線の名言、「偉くなれ!」を深掘り:まとめ

和久平八郎の「正しいことをしたかったら、偉くなれ」は、単なる出世のススメではありません。

それは、私たちが会社や社会という「組織」の中で生きる上で、誰もが直面する問いかけです。

「理想を貫きたいなら、それを可能にする力を手に入れろ。ただし、力を手に入れる過程で、その理想を見失うな」——。

和久の言葉は、理想と現実の狭間でどう戦うべきかを指し示す、厳しいながらも愛情に満ちた道しるべです。

だからこそ、放送から何十年経っても、このセリフは私たちの胸に深く突き刺さるのです。

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