お花見と言えば桜!日本人にとって特別な花ですが、家族や友人と桜を見に行く「お花見」は春の恒例行事の一つですよね。
近年では、桜のシーズンに花見を目的に来日する外国人観光客も増えてきています。
私たちにとってそれ程までに、身近にあるお花見ですが、毎年お花見を楽しんでいる人でも、お花見の歴史についてご存知の方は少ないのではないでしょうか。
そこで今回は、より一層お花見が楽しめるように、日本のお花見文化の歴史についてリサーチしていこうと思います。
日本のお花見の歴史を理解することで「お花見」をより一層楽しめること間違いなしです!
いつ始まった?お花見の意味や由来・歴史
リサーチを進めていくと、お花見の由来・起源には諸説あることがわかりました。
その中で最も一般的な由来は「奈良時代に中国から伝わった梅の花を楽しむ行事」とされているようです。
現代を生きる私たちにとって、お花見と言えば桜ですが、日本にお花見が伝わった当時は中国文化の梅の花が主流だったようです。
梅の花の香りは上品で今でも根強い人気のある香りですよね。
当時のお花見は見て楽しむというよりも、花の香りを楽しむといった趣向だったようです。
吉水神社、ここが秀吉が超規模の花見を開いた本陣っていう
色んな歴史博物館でちょいちょい書かれてたの見たな、意外とこじんまりしてる pic.twitter.com/JY0Rpknw9d— メガ☆ラバ (@megalovermax) December 22, 2023
桜を見るようになったのは平安時代以降
もとは梅の花の香りを楽しんでいたお花見ですが、桜の花を見て楽しむ趣向に変化したのは、平安時代に入ってからと考えられています。
これには、894年の遣唐使廃止が理由の一つにあるのではないかと言われいます。
遣唐使が廃止され、中国の文化の影響が減ったことによりことにより、日本古来から信仰の対象として崇敬されてきた桜を見て楽しむ方向へと趣向が変化していったのかもしれません。
「万葉集」には桜を詠んだ歌もあり、古来より桜は神の宿る神聖な木として崇敬されていたようです。
「日本後紀」にも、平安時代に嵯峨天皇が「花宴の節」を行い、梅から桜へとお花見の主役が変わり、公家社会において美しい桜を愛でながら詩を作って楽しむという貴族文化が形成されました。
桜の下で宴を開催している宮中の様子は、「源氏物語」にも記されており、「古今和歌集」でも、桜を詠んだ歌が多く残されています。
当時の貴族たちにとって、桜が「春の象徴」となっていたことがうかがえます。
その後時代が進んで、鎌倉時代にはお花見が貴族から武士にも広がり、江戸時代には、お花見が庶民の間でも広まったとようです。
農民にとってお花見は五穀豊穣を願うものだった
貴族のあいだでは桜を愛でて歌を読むという「歌会」が目的でお花見をしていましたが、農民達は別の目的で花見をしていたようです。
春という季節は農民にとって農作業を始める季節であり、春の訪れを告げる花が咲くと、厄払いと五穀豊穣を祈願する宗教的儀式としてお花見が行われていました。
そのため、お花見は祭事となり日程が決められて、当日は野や山へ出かけて花を愛でる「野遊び」や「山遊び」がおこなわれていました。
現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に広まったのは、江戸時代に入ってからのようです。
現代では春になると日本人だけでなく、外国人にも広まりつつある「お花見」文化ですが、美しい花を愛でるという感性は人類共通のものなのかもしれませんね。
田舎なんだけど
毎年とても綺麗です☺️来年は映画の公開もあり
桜が咲く頃が楽しみですね😊お花見できるといいですね💕#たけてれ写真
桜も綺麗だけど
健くんがここにいると
さらに
美しくなるんだろうなって
思う💕 pic.twitter.com/Uq4bu7u5Ci— 佐藤ふみ (@satofumi0321) December 20, 2023
まとめ
いかがだったでしょうか、ここまでお花見についてリサーチを進めてきました。
現在では全国各地で楽しまれている花見も、その起源は奈良時代以前までさかのぼり、花も桜以外にも、梅などの春の花が人々に愛されていたということがわかりました。
また貴族の楽しみとして、そして農民が五穀豊穣を願う宗教儀式としてもお花見文化が形成されていき、江戸時代には大衆文化として根付きました。
そして明治以降には日本中に桜並木が広がっていき、今では北海道から沖縄まで日本中で桜が楽しめるようになっています。
桜を愛でるという「お花見文化」は世界にも知られることとなり、海外からお花見に訪れる外国人も年々増えてきています。
そういった時代背景の中で、私たち自身も今一度、お花見の歴史を理解して外国の方々にも正しく伝えていけるとよいなと感じました。
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