イチョウの歴史や起源は?日本への伝来や世界の分布について

秋といえば、さんまや柿といったいわゆる秋の味覚や紅葉狩りの鮮やかな景色など数多くのものが想像できるかと思います。

イチョウもそんな秋を彩る植物・景色の1つとしてイメージする方も多いのではないでしょうか。

今回はそんなイチョウについて、歴史や日本への伝来、世界での分布や都市景観など様々な部分から深堀りしていきたいと思います。

イチョウの意外な歴史に驚く方も多いかもしれません。

イチョウの歴史と起源

まずはイチョウの歴史や起源について見ていきましょう。

現在私たちが目にするイチョウは中国が原産の渡来植物で、初めて地球に現れたのはなんと約3億年前とされています。その後、約1億9500万年前~約1億3500万年前まで続いた中生代ジュラ紀に世界中に広まっていったことが化石から判明しているのです。

ジュラ紀にイチョウが広まっていった理由としては、皮がついたままでは発芽できないイチョウを当時栄えていた恐竜たちが皮を食べ、それが消化される過程で種だけが残り排出され、繁栄していったとされています。

その後地球は氷河期を迎え、厳しい気候の変化に耐えられなかったイチョウは17種類から中国大陸に残った1種類だけになってしまいます。なぜ中国大陸のイチョウだけが生き残れたかというと、氷河期の際でもその他の地域に比べて比較的温暖な土地であったことが挙げられます。

中国大陸でひっそりと生きていたイチョウは栄時代(960年~1279年)に人類に発見され、食用や薬用として大きな価値を見出され中国全土で栽培されるようになりました。

次章の【どうやって日本に伝わってきた?】で詳しく説明しますが、その後は室町時代に日本へとイチョウが伝わったとされています。

一時は絶滅しかけたイチョウでしたが、再び世界へと広まっていき多くの人に認知される植物となったのです。ただしそれらのイチョウは人の手によって植樹されたもので、自生のイチョウは中国にわずかに存在するだけだと言われています。

植栽されたイチョウを多くの場所で目にする機会が多いので意外に思われるかもしれませんが、野生のイチョウは「絶滅危惧種」に分類されているのです。

イチョウは生きた化石などと言われることもありますが、ここまで長い歴史があるとそう呼ばれるのは納得です。人間よりも遥かに長い年月を地球で生き延びていたと思うととても興味深いですね。

いつ日本に伝わってきた?

さて、ここではイチョウがどのようにして日本に伝わってきたのかを解説していきたいと思います。

実はイチョウの日本への伝来はハッキリとした経緯は分かっておらず謎が多いのが事実です。

イチョウの日本への伝来としては長らく鎌倉時代に行われたという説が有力でした。しかし近年では室町時代に伝来したという話が妥当とされており、以下がその理由になります。

今現在日本に植えられているイチョウは伝承ではありますが樹齢700年超え、場合によっては1000年を超えるようなものが複数あり、それらの情報を仮定すると平安時代から~鎌倉時代にかけて日本に伝来したとされていました。

また、鎌倉時代である1219年2月13日に三代目将軍の源実朝が鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝した際に、石段にあるイチョウの木の陰に隠れていた甥の公暁によって暗殺されてしまったという話もイチョウが鎌倉時代に日本へと伝来したという説の後押しをしていました。

しかし、その鶴岡八幡宮の大イチョウが平成22年に強風によって根元から折れてしまいました。そこで調査をした結果、幹の胴体は7メートルしかなくとても樹齢1000年には達するものではないとされたのです。

それらの樹齢や話が間違いだったとすると、イチョウに関する資料が出てくるのは室町時代以降とされています。イチョウは銀杏とされて1400年代に日本に定着したとされおり、中国と同じように薬用および食用として使用されていたようです。

1444年の『下学集』では銀杏にイチヤウという呉音や漢音以外の音が振られていたことから、書物上の文字ではなく、外来音で呼ばれていたことが分かっています。

また1492年~1500年の『新撰類聚往来』から銀杏が果実に分類されたことから、これらの年代に銀杏の普及が始まっていったことが示唆されています。

このような総合的な調査から、鎌倉時代ではなく室町時代に日本へと伝来したという説が妥当であるという声が増えているのです。

日本各地で多く見られるイチョウですが、いつどのようにして日本に来たのかハッキリ分かっていないというのはなんとも不思議な話ですね。その歴史の長さからも私たちには計り知れない理由があるのかもしれません。

世界でのイチョウの分布

ここでは世界のイチョウ事情についてご紹介いたします。

イチョウは耐寒耐暑性があり、さらに強健で抵抗力も強いため世界の幅広い地域に植栽されています。

具体的な地域では北半球ではメキシコシティからアンカレッジ、南半球ではプレトリアからダニーデンの中・高緯度地方に分布しており、赤道地帯や極地方には植栽されていません。

つまり赤道地帯をはさむ南・北緯20°以内にはイチョウの栽植は見られず、北緯20~60°、南緯は20~50℃の範囲においてイチョウは分布しています。

またイチョウの分布は気候や平均気温でも分析することができます。年間の平均気温が北半球では0℃~20℃の地域、南半球では10℃~20℃の気温帯の地域にイチョウは分布していることがわかっています。

イチョウの分布と降水量の関連を調べたデータでは、年間の降水量が500mm~2000mmの地域に栽植が多いことが分かっています。

これらの環境適正に加えて、その葉色の鮮やかさや病害虫、公害に対する強さも相まって多くの国でイチョウが植えられているのです。

イチョウと都市景観について

これまではイチョウの歴史や日本への伝来、世界での分布などについて解説してきましたが、ここでは都市景観の面からイチョウを見ていきましょう。

イチョウと言えば鮮やかな黄色がイメージされますよね。

そんな葉色の良いイチョウは度々都市景観にも大きな役割を果たしています。

御堂筋のイチョウ並木(大阪)

大阪では梅田から難波の約4キロを結ぶ御堂筋の歩道と緑地帯になんと約800本ものイチョウが植えられています。

この御堂筋のイチョウ並木は2000年には近代大阪を象徴する歴史的景観として大阪指定文化財にもなっています。

見渡す限りに鮮やかなイチョウのトンネルが続いていくその景観は圧巻で、歩いているだけでも楽しくなること間違いなしです。

また11月の下旬ころからは、御堂筋イルミネーションというエリアごとにイチョウ並木をライトアップするイベントも開催されており、昼のイチョウとはまた違った顔をみせてくれます。

明治神宮外苑のイチョウ並木(東京)

東京では明治神宮外苑のイチョウ並木が有名です。

国道246号線の青山二丁目交差点から明治神宮外苑のシンボルである聖徳記念絵画館方面へと続く道には146本もイチョウが植えられており、11月の下旬になると黄金に輝きます。

300mの間にほぼ9m間隔で植えられたイチョウは、黄色に染まったトンネルの中へと誘うような独特の景観を作り出しています。この景観を手掛けたのは日本の近代造園の師と呼ばれた折下吉延博士であり、絵画館に向かって木の高さと下り道の勾配を計算して遠近法に基づいたイチョウ並木が植えられています。

ドラマやCMのロケ地としてもよく使われているので、実際に足を運んだことがなくてもテレビなどで見たことあるという方も多いのではないでしょうか。

桜通のイチョウ並木(愛知)

愛知県の名古屋市には昭和12年に汎太平洋博覧会を記念して道路の整備を行った際に、歩道や車道分離帯に植えられたイチョウが存在感をはなっています。

車線が多く走行しやすいので、大通りに植えられたイチョウの間を車で通り抜けるドライブスポットとしても良さそうですね。

また自転車専用道もあるので、自転車に乗りながらイチョウの間を通り抜けるというのも非常に趣がありそうです。

桜通という名前ですが植えられているのは桜ではなくイチョウというのも少し面白いですね。

まとめ

まとめになります。

今回は【イチョウの歴史や起源は?日本への伝来や世界の分布について】ということで、イチョウに関する様々なお話を解説いたしました。

イチョウは3億年前から存在していて、恐竜がまだ生きていた時代にも共生していたというのは驚きでしたね。

また日本への伝来は諸説はありますが、近年では室町時代に入ってきたという話が妥当だとする声が多いようです。

日本でも東京、大阪、愛知をはじめとする様々な都市でイチョウ並木を楽しむことができますので、秋の季節にはぜひ足を運んでみてください。

今回の記事は以上になります。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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